座談会御書

創価学会(10月度座談会御書講義)佐渡御書(2012年):師子王の如くなる心をもてる者必ず仏に

2012年(平成24年)10月度の座談会御書は佐渡御書(御書全集987ページ8行目~10行目)です。以下に、座談会での御書講義内容を記します。

佐渡御書の背景 自界叛逆難と二月騒動

文永9年(1272年)3月、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地の佐渡から門下一同へ与えられました。迫害の手は、大聖人のみならず、投獄・所領没収など門下にも及び、退転する者が続出しました。そのような中、立正安国論で予言された自界叛逆難が二月騒動という権力者の内乱となって現れた、という知らせを受けて著されたのが本抄です。

佐渡御書 拝読範囲の本文

悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれるにはあらず正法を惜む心の強盛なるべし(御書全集987ページ8行目~10行目より引用)

佐渡御書 拝読範囲の講義内容

師匠である日蓮大聖人に続いて、弟子も敢然と難を乗り越えよ、との、厳しくも暖かな慈愛に満ちたご指導です。また、どんな試練があっても師子王の心で戦えるかどうかの一点で成仏が決まるのだとの仰せです。

「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時」について詳しく述べます。これは、政治的権力と宗教的な権威が結託して、正しい仏法の実践者を迫害する時ということです。国家権力の迎合して利益を貪る畜生の心を持った諸宗の僧侶たちの暗躍。国をあげての迫害です。

まさに、法華経に説かれる三類の強敵、なかんずく僭聖増上慢が出現して正法が途絶えるか否かの勝負どころの時、ということです。そして、この時にこそ、「師子王の如くなる心」を取り出せば必ず仏になれると断言されています。

「師子王の如くなる心」については、《同志への指針》より、池田先生の新しいご指導を拝します。

『正しい信仰とは、人間を限りなく強くすることだ。「師子王の心」は、この自分自身の生命の中にある。題目を唱える人は、誰でも必ず「取り出(いだ)して」いけるのだ。師子王の心を取り出せば、狐が吠えるような悪口など恐れることはない。いかなる試練にも、断じて屈することなく、誇り高く悠々と生き抜いていくのだ。(聖教新聞 2012-10-12 より引用)』

「例せば日蓮が如し」については、竜の口の頸の座の処刑を悠々と乗り越えられた事実はこれ以上ない実証ではないでしょうか。

そしてこのような命にも及ぶ戦いを敢然と成し遂げられ、弟子にもかくあれと勧めるのは、ひとえに、「正法を惜む心」の故であると仰せになっています。

日蓮大聖人の勧める戦いは、身命を惜しまぬ「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」の戦いですが、不惜身命と言っても、生命を軽んじ粗末にすることではありません。

今回拝読範囲のすぐ後に、『正法は一字・一句なれども時機に叶いぬれば必ず得道なるべし千経・万論を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず。』とあるように、時に叶った実践に不惜身命で臨みなさい、ということです。

大聖人御在世当時、命を懸けて正法を守り抜いたのは、そうしないと、全人類を救いきる正法が滅してしまうからでした。身を布施にした雪山童子は、そうしないと、法華経を知ることが出来なかったからでした。

すると今の戦いは、正法の偉大さ伝えるために、仏法対話に身命を惜しまず努力することはもちろんですが、正法の偉大さを示すために、「健康であることに」・「経済的にも豊かであることに」身命を惜しまず努力する、ということも大切になって参ります。

明、2013年を自他共に大勝利するために、題目根本に勝利のリズムを刻んで参りましょう。

【拝読範囲が重複する過去の御書講義】
佐渡御書 2月度座談会御書の講義