座談会御書

創価学会(8月度座談会御書講義)持妙法華問答抄(講義録2:2011年) 寂光の都ならずは

創価ネットの『2011年8月度 座談会御書e講義』では、「持妙法華問答抄」467ページについて、原田教学部副書記長が講師をされていますので御参照下さい。

但し、時間の経過によってe講義の内容は最新のものになります

http://www.sokanet.jp/kaiin/kyogaku/e-kogi/index.html

持妙法華問答抄(じみょうほっけもんどうしょう)拝読範囲本文

『寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし本覚の栖を離れて何事か楽みなるべき、願くは「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ只今生の名聞・後世の弄引なるべけれ須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき』(御書全集467ページ16行目~18行目より引用)

持妙法華問答抄|拝読範囲の通解

久遠の仏の住む永遠の仏国土でないなら、どこであっても皆、苦しみの世界である。生命本来の仏の覚りの境地を離れて、何が楽しみとなるだろうか。願わくは「現世は安らかであり、来世には善い所に生まれる」と仰せの妙法を持つことのみが、この一生の真の名誉であり、来世の導きとなるのである。ともかく全魂を傾けて、南無妙法蓮華経と自身も唱え、他の人にも勧めることこそが、人間として生まれてきたこの一生の思い出となるのである。

持妙法華問答抄|拝読範囲の所感と講義

「妙法を持つのみこそ」が一生の名誉と仰せです。では、妙法を持つとは何でしょう。「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみ」、すなわち、南無妙法蓮華経を自身も唱え、他人にも勧めることであると、御本仏日蓮大聖人は言われています。

要は、真心からの折伏ということですが、その行動の一切の源流が信をもって、南無妙法蓮華経のお題目を唱えることから始めるということです。自行化他の実践も自らの仏界の生命を表に取りいだし顕す唱題行がなくしてはあり得ません。

信心の分かれ目は「信じて唱える」という「自身以外にはわからないところ」からの出発にかかっています。そしてこの「信じて題目を唱える」という実践こそが唯一の「寂光の都」「本覚の栖」に「住す」ことなのではないでしょうか。

勤行・唱題は学会活動の基本と良く言われますが、勤行・唱題によって自身を磨くという行がなければ、日蓮大聖人の仏法の実践とはなり得ないことを常々深く自覚したいものです。

蔵の財(たから)や身の財(たから)はあればあっただけ重宝します。特に身の財(たから)、すなわち、判断能力に優れたものを持っていることは、そうでない人に較べて見えるものも格段に多いでしょう。しかしまずは心の財(たから)の顕現なくしては、「何くも皆苦なるべし」・「何事か楽みなるべき」との御文を深く拝すべきです。

まずは、朗々としたお題目を唱えることから出発し、自行化他の実践に励んで参りましょう。

持妙法華問答抄|拝読範囲の仏法用語解説

寂光の都とは
久遠の仏の住む永遠の仏国土。法華経寿量品では、この現実世界が久遠の仏の永遠の仏国土であり、妙法への強盛な信によってその真実を覚知し、功徳を享受できると明かしている。

本覚の栖とは
久遠の仏の本来の覚りの境地。それはあらゆる生命に本来そなわる仏の覚りの境地でもある。

現世安穏・後生善処とは
法華経を信受すれば、現世では安穏な境涯となり、来世では必ず福徳に満ちた境涯に生まれるとの意。法華経薬草喩品の文。